harinezumimizuの日記

アメリカの大学に通う予定の二十歳女。ブログいいよって言われたから、いろんなことを書く。

「海外大学に行く」聞こえは良くても

  • 海外大学に進学します

「留学?」としか聞き返されないので、「進学します」って言うようにしてるんですが、あまり効果は見られません。

海外大学に正規入学するというのがまだ聞き慣れた現象ではないからですね。こちらとしては先駆者な感じがしてありがたいことですが、日本以外の先進国では当たり前なので全然嬉しくないです。日本に戻る気もないので、”日本でこの強みを生かすぜ!”ってこともするつもりありません。

 

  • 海外に行く理由

「帰国子女?」「インターだった?」

違います。

中国人とのクウォーターですが、中国以外行ったことありません。なんなら中国ですら親に全然連れて行ってもらえなかったので、行ったことあるのは、幼少期1歳くらいの時の帰省と、5~6歳のみ。旧正月?存じ上げません…。

 

  • じゃあなんで?そもそもアジア圏しかいたことないじゃんwww英語喋れんの?

その通りです。返す言葉もございません。

 

しかもアメリカンカルチャーが好きとかストリートファッションが好きだとか洋楽しか聴かないだとかそんなこともないです。というかぶっちゃけそれら全部全然興味ないです。

 

正直言うと、私が海外に行くことを決めるなんて私自身想像もつきませんでした。

これ本当の話で、なぜなら海外に行ったことは一度もなく(私の中でアジア、しかも親の母国中国は海外に入らない)、毎年夏休み家にいた私は、空港でテレビ局の人が、6歳児くらいの子に「どこに行くんですか?」「ぐあむ」とか、「どこに行ってきましたか?」「はわいです、たのしかったです」という風に取材するニュースを見て、(どうして私より小さい子が海外に行けて私はいけないんだろう?)と思っていました。不思議に思うのは行きたい、と親に言ったことすらなかったこと。諦めていたのか、交渉するという選択肢がなかったのか。

 

なぜあの子達は行けて私は行けないのか、そこから深く考えたことはありませんでした。(むしろ学年が上がってくるにつれて、違う次元の人間の話だから羨望すら抱かなくなった)

 

これ以上深掘ると、話に関係ない私かわいそうエピソードが飛び出すのでここまでにして。

 

  • 思い出せる限りで一番最初に海外に関心を抱いたのは

高校一年生の時。

それなりの高校なら”オーストラリア1週間研修”、どこの高校にもありますよね?

私の高校にもありました。外国語科というのがあったのも要因の一つだと思います。

公立だったので、そういう国際交流イベントは少なかったのですが、これかなぁ。

説明会に行ってみると”費用:30万円”の文字。

聞いたことない。冷や汗ものでした。(え、こいつら親にこれ頼むの?正気じゃねぇ…)

そんなことを思ったと思います。

 

そうして海外に行くという選択肢があることに気づいたものの、私に一切のお金が使われなかった家庭なので、お金がかかることは全て諦めていました。

 

そうして現れた2度目のチャンス

 

  • どうやら無料で海外に行けるらしいぞ

外国語科があるほどなので、私の学校には毎年、3ヶ国から1年間、留学生がやってきます。

中国人は毎年いました。私は中国語が話せたものの、親に中国文化について教わったことがなく、中国に対する憧れがあったので、彼らにめっちゃ話しかけた記憶があります。

そのおかげで、国際交流部の担当の先生に目をかけてもらえるようになりました。

2度目のチャンスとは、その先生に紹介してもらったのですが、AIUという、世界のリーダー育成する名目で1週間ほどハーバードで研修するプログラム。

 

むむ、むむむ無料ですと!?

しかも確実にすごく頭のいい人に出会えそうな予感。

家が受験間近でめちゃくちゃになり、受けられた高校は一校のみ、しかも自宅徒歩2分の公立校というめちゃ親孝行の私は、高校のみんなをかなり見下してたし、今でも別に後悔してないです。県の中では上位でしたが、もっと上の高校を受けられるはずだったので、これが落ちたならまだ気持ちの整理もつきますが、受験する暇さえ与えられないほどめちゃくちゃに親がしてくれたので、未練タラタラ笑

そんな私にとって、自分より優秀な人に会えるこのプログラムは夢のような話でした。

 

校内選考で、大量の外国語科が落ちて、相当落胆した記憶があります。外国語科wwwなに勉強してんだよwwww外国語科も英語できるわけじゃないんだ、じゃあ何やってるんだろうって勝手に落胆してた笑

(蛇足ですが、結局その子らは英語とは関係ない進路に今の所突き進んでいるので、学科というより人の問題なんですね)

 

本試験は英語検定1級レベルだそうで、コテンパンにやられました。ここで1級すごい!難しい!ってモチベが上がらない時点で自分の性根は腐ってるんでしょうね…。

 

 

  • そんな感じで迎えた受験期

高校1年生の頃からめちゃくちゃ高2病でした。

そんな人間がまともに受験できるわけがない(言い訳)

何も考えず、ただ言われたように勉強しているクラスメイトがアホらしく見えた。

必死に学部を決めようと聞き回ってもみんな当たり障りのない理由、というか、「よくそれで将来決まってもおかしくない学部決められたな」という理由。いや、そういうものなのかもしれないけど、そういう”流れに身をまかせる”というのがどうしてもできなかった。

絶対納得のいく進路にしたい。

そもそも学部が決まらなかった理由は、無関心もあるんですが、無関心と紙一重といいますか、何にでも興味がありました。

なので学部が絞れなかった。

 

じゃあ実際に学校がどんな授業しているのか、学生がどんなモチベで大学通っているのか見てみよう

→飲み、合コン、サークル、バイト、代返、単位落としそう、卒論無理(何もしてこなかったから)

(理系科目は学校を言い訳にしてできませんでした。うちの高校は模試の数学の点数が県の中で相当悪かった(入学時は県トップクラスなのにも関わらず)なお、現文は上位(カスあるある))

 

え、ダメじゃん、また人見下す人生送るの?

 

となった私は”リベラルアーツ”にたどり着きました。

 

いわば、東大とICU、あとは国際教養大学が行なっているカリキュラムです。

文系、理系の区別なく幅広い知識を得た後に、専門性を深めることで、豊富な知識に裏打ちされた創造的な発想を可能とする教育です。

 (ICUのHPより)

 

東大は無理だから、ICUしかないな。国際教養大学は田舎だから、情報格差怖すぎ。若いうちに情報格差は無理ということで除外。

 

しかしそれでも納得いかない。そもそもみんな足並み揃えて大学行って、そのあとこの職業難って言われてる時代にどうするの?という気持ちでした。

 

そうしてネットサーフィンを繰り返している時、あるサイトに辿り着きました。

 

  • Wantedlyとの出会い

意味ない自慢なんですが、私が出会ったのは3,4年前で当時全然人気ありませんでした(オイ)

でもとってもいいサービスで、なんと会社の人と会えるらしいぞ!と興奮した私、いくつか話を聞きに行くボタンを押してみました。

 

その中で唯一返信をくれたのが、株式会社AIL

「1日で作るビジネスプラン」といった内容だったかな、今になってみればあれはインターン採用の一環だったらしいのですが、私は当日何も考えずとりあえず行ったら何か変わるかもしれん!!学校と家庭以外の親の人と話せるってやばくね!?という短絡的な考えで神保町に向かいます。

 

  • な、なんだこれ…

行ってみた先は、どんでもなかったです、えぇとんでもなかったですよ…。

 

そもそも周りは大学生だらけ。大学4年の人とかいて、当時私は高校3年生。

生徒会と文化祭実行委員の社会人OB・OGに会ったことはありますが、友達みたいな感じだったので、目上の人と話すのは初めての経験でした。

しかもそのあと襲いかかるのが”ビジネスプランを考える”

 

今まで企画といえば、生徒会役員の時に個人で行った座談会(6名規模)

それ以外は全部恒例事業を繰り返してきただけ。いやいやお金?無理無理、え?なに言ってるの。と思ったのに、周りの大学生(今思えば意識高いってやつ)は、スラスラとシートを埋めていきます。

え゛、私白紙なんだが…

場違い感満載。そもそも自己紹介の時にめっちゃ珍しがられたし、ただの場違いじゃん。どうしよう。なんできたんだよって思われそう。どうしよう…。

そう思って、見回ってくれた社長入江さんにもシートを隠すようにかいてる風にしてました。

それでも入江さんは優しくて「テーマはあったらいいね!で世界を変えるだから、自分が困ってることでいいんだよ」と諭してくれました。

”あ、世界を変えるってでかく考えるんじゃなくて、困ってくることでいいんだ”

ハードルが下がった私は一つ”18歳選挙権も始まったし、政治に関心を持ちたいけど、ニュースが難解でわからない”というアイデアを提出しました。

 

これがあとあと私にめまぐるしい変化を与えてくれます。本当に、優しい笑顔で諭してくれた入江さんと当時人事担当だった素敵な笑顔の小谷野さんには感謝してもしきれない…いつか恩返ししたい素敵な方と出会えて幸運でした。(意識高い系で止まってる私と関わってくれる大人なんていないから、自分を変えてくれた大人なんていないと思ってたけど、この2人がいた。過去を回想するって大事だな。そんな暇あるから系止まりなんだよって言われそうだけど)

 

  • さらに勉強する気が無くなる

え、学校のこいつら、社会に出るってどういうことか知らずに大学選ぶつもりなの?やばいじゃん。てかいい大学行っていい企業に行くってまだ信じてるの?やばいじゃん。となって、そんな人たちとクッソつまらない学校の授業を受けるのが嫌になって私は学校に行かなくなりました。(1週間に3,4日気が向いたら時に遅刻して通ってたかな?覚えてない。そういや小中高でそれぞれこういうこと繰り返してた)

 

  • 大学受ける

ICU落ちる。他の大学出願してたけど、合格したとしても行く気ないから受けたくない、てかこれからどうするか考えたいし、家出たくない。ってなりました。

親は相変わらずのネグレクトなので、全然何も言われなかった。落ちたことすらいつ言ったか覚えてない。

 

そして、思い浮かんだ選択肢が「浪人するくらいだったら海外行っちゃうか」ということでした。

ICU若干行きたいけど浪人してまで行きたくない。かといって今から受けて受かる日本の大学には行きたくない。

 

実は高校3年の春くらいに、外国語学科の先輩で外国の大学に進学した2人を呼んで取材したことがありました。

その話がずっと忘れられなかった。楽しそうで、今でも覚えているのが、「そもそも英語”を”勉強したいんじゃなくて、英語”で”勉強したい」という言葉。(それや!!)としっくりくる感覚あったような気がします(後からならどうとでも言えるからね)

他にも向こうの学生のモチベや、ホームステイの苦労話、聞いててワクワクしました。いや、大変なんだけど、生きてるって感じがして、日本でダラダラ温室で過ごしてるよりもずっと楽しくて、身になりそうだった。

付け加えるとしたら、高2病っぽく「そこらへんにいそうな学生にはなりたくなかった」ですかね。ぶっちゃけこれが核心的な理由だと思います笑

 

  • そして現在

1年間、先輩が通っていた語学学校に通い、アメリカの大学に合格(まぁ提携校なんで何も苦労してないんですけどね、ちゃんと知っててね)

今はギャップイヤーという名のクソニートです。

元々はギャップイヤーはインターンバリバリやるつもりだった。だから子供と遊べて勉強教えられて時給よくて治安もいいめっちゃ穴場バイトもやめた。

だけど、甘く見ていました。ここで働こう!と思ったところが薄給で(ベンチャーなら当たり前なんだけど)時給500円以下で働く気はないかな…ということですぐやめちゃいました。

だからクソニート。

 

ツイッターでは本来「アメリカに向けてこんなこと頑張ってる!」とか書くべきなんだろうけど。コンテンツとして成り立ってないな笑。

 

 

私が企業勤めしないで起業に興味持ったきっかけは朝時間通りに起きることが不可能で、それを証明するかのように、ビザの面接日前夜全然眠れなくて4時就寝した結果寝坊しました。

なので、まだビザ持ってないし、学費も両親それぞれから徴収しなきゃいけないんだけど、お母さんが、離婚した時に父親に1000万渡したからそれ奪ってきなさい!って聞かなくて、それをお父さんに伝えるとそんなの嘘だし、もうとっくに使ってるし…とかわけわかんないこと言うし。

「いやお前金あったのに私に何もさせてくれなかったんだな…」っていう気持ち。てかあのたくさん引っ越したのもそのおかげか。どうりで転勤族じゃないのにおかしいもんな。転校のおかげで諸行無常間手に入れて私の性格こじれたし友達もいないよ。1000万あったら私の将来どうなってたよ。まじか。

 

父ちゃん新しい家庭に子供3人いるからきつそうだからあんまりウシジマくんみたいになれないんだよな〜〜…。一時期居候させられてたから肩身の狭さも知ってるし。どうしようかな…。とかいってるうちにも渡米日は迫っており、そうこう言ってる暇はないんですよね。父ちゃんもすぐに1000万用意できないだろうし。

何だろう、この人の人生を歩んでる感じは。お前の人生なのに、焦りとか、希望とか、全然ないな。これも両親の教育の賜物だな笑

 

私はあのジリジリ暑い夏休みにテレビ越しに子供達に羨望を向けたあの頃のまま、変わってないんだろうな。